インドぐるぐるバス旅行  2001年7月5日〜9日
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 麗しきタージマハル

 

今日は昨日より少しおそめの起床時間。まあ、でもインド時間で午前5時。45分後に荷物を外に出し、朝食を取って6時半には出発なんだけどね。
ぶんちゃんがそれなのに4時に目がさめたらしくて電気をつけて何やらしている。電気は1つつけると全部ついてしまうようになっていて煌煌と明るいの。
寝ながらいいかげんやめてくれ〜。と思っていた。(あまり寝ていないから)
旅行では美紀ちゃんが実生活が早寝早起きなのでそれが反映していつも美紀ちゃんが早く起きる。でも皆に迷惑がかかるから昨日なんて30分くらいバスルームで本を読んで過ごしていたとか・・・。
それならまだしも、皆より早く起きる週間がなかったぶんちゃんはばたばたと音を立てるわ明るいわ。
寝ながら「うるさいよ〜」と言っていた。
美紀ちゃんも目がさめたようで早めに起きて「ぶんちゃんがいつ電気消してくれるかなぁ」って思っていたんですけど・・・」なんていっていた。
とにかくぶんちゃんはお腹の調子がちょっと悪くて目がさめたらしい。
私はモーニングコールがあるまでうだうだベッドの上で転がっていた。

荷物を外に出す10分くらい前にぶんちゃんが用意が終わってそわそわしている。私はそれにすぐ気がついて「ぶんちゃんが早めに用意終わるとなんか不安だねぇ」と言ったら「そうなんだよ。わたしも」と言っていた。おいおい。

食事は3回ともホテルのレストランでの食事でした。でも、ここおいしかったから名残惜しいわ。
昨日のニッコーの朝食はパンケーキオンリーだったので今日はちゃんとしたビュッフェで嬉しい。私は海外に来るといつも朝食はフルーツとコーンフレークって決まっている。(お腹の調子を整えるためのフルーツと大好きなコーンフレーク。ってコーンフレークなんてどこでも買えるじゃんって感じでしょうが)
でも、カットしたフルーツもとめられているのでコーンフレークと朝からカレーっぽいものを食べた。
ここに来て野菜らしい野菜(生で食べるような)を食べていない。仕方ないかなぁ。

今日はジャイプールからタージマハルのあるアグラに向かいます。
昨日より距離が短いと言うので4時間くらいで着くのかなぁ?と思ったら、道が悪いためやはり同じ時間かかるとのことでした。
途中でトイレ休憩もきちんと取るって。
カンさんがここから高速道路に入ります・・・って言ったけど、日本で言う高速道路とはかけ離れていた。
だって、防音壁があるわけでもないし、多分、舗装された道路のことを言っているのかも。
昨日と違うのは昨日は片側2車線だったのに今日は1車線。しかもすれすれですれ違う。私はバスの右側の席にずっと座っていたんだけど怖くなって反対側に座ることにした。
それにしてもインドもクーラーで冷やしすぎ。寒くて寒くて。
カンさんが朝、出発するときに「寒いですか?」って聞くので「寒い〜」と言ったら調節してくれるのかと思ったら「暑くなってからでは手遅れなのです」とか言っていた。間違っていた。期待したのは。

途中でトイレ休憩を取るドライブイン!?は多分、どこも構造が似ているんだろう。観光客用の作り。きちんとしたトイレなの。今日はとても眠かったのでカンさんの話も半ばうとうとしていた。

今日最初の観光場所、ファティプール・シクリについた。ここは、アクバル皇帝がイスラム教の預言者に言われて遷都したんだけど水不足で14年で放棄された、幻の都なんだって。
今日は朝からちょっと雨気味だったの。私はインドが雨季だってこと全くもって調べてこなかったので雨対策は葉にも持ってきていなかった。
ぶんちゃんは傘を美紀ちゃんは今年始めに行った北京旅行の時に買ったカッパを持ってきていたとのこと。
カンさんによると雨季のインドでの観光は極めて困難なんだとか。一昨日も昨日も晴れていてラッキーだといっていた。
インドの雨季は下水施設が整っていないので街中床上浸水なんて当たり前のことも多い。
うっひゃーーー。あと2日そうならない事を祈ろう。
(観光どころではなくなるしそんな濁流の中歩いたら何かの菌に感染することは間違いなし!だわ)

ファティプール・シクリは大きな門を超えて入ってゆく。インドの建物、私達が見に行った建物は殆ど大きな門をくぐって行くものばかりだったけど。
門をくぐってもかなりのオフロードだ。やっと、建物付近にバスが近づいた。
バスを降りるとすぐに物乞いにあう。ビンディいらないか?アクセサリーいらないか?と。

なんと、私たちがバスから降りるとぱらぱらと降っていた小雨が止んだの。誰か、強烈な晴れ女がいるのね。
よかったぁ〜。
入ってすぐのところは緑の芝生がとても綺麗で赤い城によく映えている。この芝生は3パーツに分かれていて真中のパートは民衆が皇帝に接見して意見を述べるところで、向かって右は処刑されるところなんだって。処刑される時の足かせをつないでおく鉄の輪もあって想像すると怖かった。処刑は象にふまさせたりしたらしい。
それをほかの民衆にも見させて悪いことをするとこのようになる、という戒めにしたとか。
ちゃんと接見するところもあるかとおもうと、きちんと民衆の意見を取り入れた政治をしていたんだなぁと思いました。
玉座の両脇にはきちんと大臣の座るところもあったし。

ここでトイレ休憩を取ったのだけれど、やはり城のトイレ・・・。私はご辞退させていただきました。
みんながトイレ休憩している間、私は周りを眺めていた。きれいなんだぁ。緑が。大好きなブーゲンビリアがみむの木に絡まって空まで伸びているの。
その向こうにお城の高い塔が見える。リスもちょろちょろ歩いている。インドのリスってすごい尻尾が長いんだよ。

このお城の建築は色々な宗教が混ざっているんだって。
昔、結婚する時はカーストと宗教をあわせることが基本だったのだけれど、アクバル皇帝はいろんな宗教が仲良くすることはとてもいいことだと思っていたので4人の奥さんのうち2人をヒンズー教の奥さんにしたとか。
(4人まで奥様をもてるのはイスラム教、皇帝自体はイスラム教の人ね)
だから建築様式にもイスラムやヒンズーだけではなくその他の宗教の建築様式も入っているんだって。


イスラム教はお肉を食べるけど、ヒンズー教は菜食主義なのでその奥様たちの専用の台所もあったの。
ヒンズー教ではお肉と一緒の台所で作った野菜も肉に変わってしまうという考えがあったからだとか。
そうそう、建物には必ず夏の宮殿と冬の宮殿があるの。夏の宮殿は風通しが良いように窓も格子になっていて時には部屋の中に水が流れるようになっていたり涼しくする趣向が凝らされている。
冬の宮殿は全く逆で窓はなく綺麗な装飾が壁全体にあったことを思わせるの。でも、きちんと夏の宮殿と対照に作ってあった。

ファティプール・シクリを見終わってまたバスに乗って来た道を少し戻ると、工事をしていてなかなかバスが動けない。
パキスタンの大統領がもうすぐやってくるとかで道を綺麗に舗装しているの。(いやする予定と言った方がいいかな?)でもね、インド人の仕事といったら・・・日本では考えられない程原始的だし、働く意欲ってもんがないみたい。レンガを均すのに一つ一つぽーんって石を投げている。ぶんちゃんは「ああ、もうブルトーザーみたいなのでがーっと均しなさいよ!」と言っていた。ずっとインド人の行動をバスから見ていると作ってんだか壊してんだかさっぱりわかんないのよね。

やっとで工事中を抜けられて一路、今日の宿アグラトライデントホテルへ。昨日のトライデントホテルと同じ系列。今日の宿は2階建ての中庭があるようなつくり。(アナハイムのシェラトンのような)
今日はインドの家庭料理ターリー料理をこのホテルのレストランで食べるんです。
カンさんに昨日までの料理は子供の料理。全然辛くありません。今日のが普通の家庭料理なのでたぶん皆さんは「目から涙、鼻から水でしょう」と。
運ばれてきたのは日本でもインド料理やさんに行くと出てくるような器。ちょっとずつカレーが入っているの。左から豆腐(ミルク豆腐)、スパイシーチキン、マトンカレー、ヨーグルト、豆カレー、かぼちゃカレー、野菜カレー、真中に初日にも食べたドーナツのあまあまシロップがけとタコス味の!?トマトがのっていたの。
私のお気に入りはかぼちゃのカレー。ヨーグルトはどちらかと言うとフレンチドレッシング味。あとはタコスのソースが入ったトマトがピリッとしていて好きだなぁ。
定番のナンも後から運ばれてきた。うまいうまい。ナン、大好き♪
だんなの人に悪いと思いつつも昼間っからビールを頼む。だってさ、コークとかレモンスカッシュとか甘いんですもの。ビールならスカッと。(って私たち3人がただ単にのんべぇなのさ)

食事の後、部屋に入ってほんのちょっと休憩したら観光にでるとのこと。
昨日のトライデントホテルにはブックショップがあったけどこのトライデントホテルでは探すことが出来ない。
どうやらちょうど工事中の所にあったらしい。夕方帰ってきて見ることが出来るかなぁ。(一番私たちの要望を満たしてくれるおみやげ物やさんはホテルの小さなショップのような気がしてきた)

さて午後の部出発。
最初についたのはアグラ城。第3代皇帝アクバルによって築かれた要塞でアクバルから3代にわたってムガル皇帝の居城になった。城壁の高さはなんと21m。お城の周りにはお堀があって、いかにもお城。大きなドアが橋となってお堀の外とお城をつないでいるんですもの。アグラ城に入るまでも物乞いと物売りがたくさん。手編みのレースを広げてきたりブレスレットをじゃらじゃらと見せつけたり、葉書を買わないかと言ってくる。
たぶん、買いたいのならカンさんに言って、買えばいいのだろうけど、きりがない。しかもこんなところでお財布を広げるのも危険のような気がした。
私は言われるとすぐ返事しちゃうからしつこく付きまとわれる。ブレスレット最初は10本で$20とか言っていたのにだんだん値が下がる。20ルピーとか挙句の果てには「いくら?いくら?」と、私に値段をつけさせようとする。買わないって〜。

アグラ城もファティプール・シクリ同様赤い建物なんだけど、途中で皇帝も変わって白い大理石が沢山手に入るようになると城のいたるところに大理石の建物が追加されて作られた跡がある。その時代の継ぎ目をあるくのも楽しい。大きなプールがあって皇帝が悠々と泳いでいる姿や(周りに女をはべらせて)、女を囲うための部屋、お妃様と向かい合って釣りをする部屋がある。なんともなんとも。
ちょっと怖いような、分かるようなインドの文化。でも、数百年前ここで沢山の女性が暮らしていたかと思うとなんだか夢物語のよう。私は『源氏物語』を思い出していた。


アグラ城から見るヤムナー川とタージマハルもとても綺麗だった。そのために展望台を作ったと言うのだから王様には恐れ入る。優雅な景色を見ていると、旅行参加者の一人である「先生」が「気をつけなさい。ずっと後からついてきているあの3人はきっとスリだよ」と教えてくれた。
気をつけるに越したことはない。確かに目つきが私たちを狙っている。私は誰よりも荷物が大きいので(デジカメやら普通のカメラやらなんだかんだと入っている)狙われやすいのかも。(金目のものは殆ど入っていないけど)でも写真撮ったのにそのカメラとか持っていかれたらいやだもんね〜。
あ、ここでも一緒に写真撮ってください〜と言われたけれど、警戒心で断ってしまった。(あとで、私たちが説明を受けている時バックにして写真を撮っていた。観光客が人気)

アグラ城を出て、バスまで物乞いやら物売りを交わしながらはしっていると、びっくりするほど足の大きな子供?がいたことに気づいた。「先生」によると風土病とのこと。蚊に刺されたりして、感染するんだって。ひざから下がすごく肥大化しているの。喩えようがないくらい。(天狗の葉っぱのような足)
ほかの女の子達はアグラ城に行くと上半身しかない子供がスケボーに乗ってやってきて「金くれ」って言われるよ〜、という情報はもっていたけど、こういった風な物乞いはいろんな人がいるみたい。
やはり日によってはそのスケボー少年もいるとか。なんだかちょっと怖い気もする。ごめんね、同じ人間なのにそんなこと言って。


さてさて、インドのメインイベントと言ったらタージマハルでしょう。
タージマハルは第5代ムガル皇帝のシャー・ジャハーンが愛妃のために建設したもの。悲願にくれたシャーが「この世で一番美しい建物と棺の中にお前を葬ろう」と霊廟タージマハルを建設。皇帝は、対岸に黒い大理石の霊廟を自分用に造り、銀の橋で2つの霊廟をつなごうとしたけれども三男による王位簒奪でその夢は破れたのだとか。ひどい子供だなぁと思っていたのだけれど、実際のところは「父は建物ばかりを立てて民衆を苦しめている、そんな世の中はダメだ」とアグラ城に幽閉したのだとか。当然、父はアグラ城では遊び暮らして世を去ったのだけれど・・・。三男は自分の時代には1つも建物を建てなかったとか。民衆にしては良い信念を持った青年だわね。

バスで近くまで行くとそれ以上はガソリンカーは入れないのか、ゴルフ場にあるような電気カーでタージマハルの近くまで行った。ここには欧米人バックパッカーも沢山見られる。でも、欧米人に物乞いはつかないけれども日本人らしき人たちには物乞いが沢山つく。
バスから電気カーに乗り換えた時にヤッターマン状態でボールペン売りの男の子が私達の車に乗り込んできた。電気カーが走り出すまで物を売ることに専念していたのに車が走り始めると風を気持ちよく受けてニコニコしていた。やはり子供だ。なんだかかわいい。でも、タージマハルに着いたらまた物売り再開。

タージマハルの前に茶色の門があるの。それとくぐるとタージマハルが見えるんだけど、そこで荷物検査がある。食べ物を中に持ち込んじゃだめなんだって。(アグラ城でも簡単な手荷物検査はあった)日本人の手荷物は面白いらしい、ちょっと時間かけて見ていた。

目の前に広がる、「摩訶不思議」なタージマハル。この「摩訶不思議」という漢字がよくあてはまる。何もかもが対照に出来ているんですって。
タージマハルの周りに建っている4本の塔はタージマハルより500年早く、倒れるとのことで3度外側を向いているとのこと。タージマハルの両側に建物があるのですが、王様がタージマハルでの暮らしがとても好きなのだけれどイスラム教の皇帝は毎週金曜日にモスクへ出掛けて祈りをしなきゃいけないんだけど、タージマハルの外に出掛けるのがいやだったから向かって左側にモスクを作ってしまったの。
建物は対照になっていたためちょうど反対側、右側にも同じ建物を作って迎賓館にしたのだとか。
お金持ちのすることって。

ただひとつ対象になっていないのはお墓。このタージマハルは霊廟なのでお墓があるのは当然なのですが皇帝とお妃様は昔からお墓の大きさを違えて作っているのでこの二つのお墓をタージマハルの地下に埋めてあるのですがそれだけは対照ではないのです。
私たちが行った時はなんだか工事中で、タージマハルの中は真っ暗。ちょっと残念。タージマハルは大理石なので光が当たるとどこまでも半透明で透けて見えるとのことだったのに。
30分位、休憩をもらったのに15分もしないうちに見終わってしまった。私たちがタージマハルの裏で涼んでいると私たちをバックにみんな写真を撮るの。タージマハルはあっちだって(笑)。
ここでも日本人大人気。私たちが誰も通らない時を見計らって、走って行って迎賓館をバックに写真を撮ると、インド人に笑われた。
インド人って気さくなんだよ。バスに乗っていてにこっと白い歯を見せると、インド人も必ず笑いかけてくる。手を振ると振り返してくるもの。

タージマハルから見るヤムナー川に名残惜しさも残しつつ、後にしました。(残りの人生、もう見られることがないと思うと本当、来てよかったよ〜)

「インドは石が有名」とカンさんが言って昨日は宝石を見に、今日は大理石の象眼細工を見に行くとのことでした。象眼細工(ぞうがんざいく)とはタージマハルにも施された綺麗な宝石を使った装飾です。
すごく綺麗なんだよ〜。ラピスラズリが私は好きだなぁ。手が込んでいれば込んでいるほど高いし、美しい。買えるならやはり高いものがいいと思った。(安いのしか買えないならいらない)

最初に作っている少年達を見ながら説明を受ける。石を研いだり、大理石にはめ込んだりしている。少年達は40歳くらいでこの仕事を絶たれるらしい。
目が極端に悪くなったり石の粉を吸い込んだりしいて健康的にもあまり続けられる仕事ではないのだそうだ。(ここでは『ああ野麦峠』を思い出す)
そのあとジュースが配られ好きなように見るんだけど、まあお店の人がもれなくついてくるのでなかなか「自由に」とはいかない。
最初の階は高い象眼細工ばかりで買えるわけがない。みんなも退屈そうにしていると次の階に案内された。ちょっとリーズナブルなものをね。こう言う商法ってどこ行っても同じね。高いもの見せて値段にならしておくのは。でも、やっぱり高い。ふう。

ホテルに帰ってきて、気になっていたブックショップに行ったの。本はもちろんのことポストカードやちょっとしたお土産物もある。私は昨日のジャイプールのトライデントホテルのブックショップで気になっていたカードセットを見つけてほくほく。よかったぁ。もう、出会えないかと思ったよ。
なかなか、インド土産なんて難しいから。
隣には宝石ショップもあってかわいいアクセサリーも売っていた。今を逃すと空いている時間がない。

夕食もホテルの食事。なんて、リッチなんざんしょう。カレーはもう定番になってしまったわ。ヨーグルトドリンクのラッシーがあるというので飲んでみることに。
な、なんか私が作るラッシーと違う。草原の味だわ。!?
食事の後、「先生」がバーにいるからおいでと言うので、ちょっと疲れていたけど行って見た。
ツアー10人とカンさんで後一日よろしくね!乾杯をした。

部屋に戻ると、美紀ちゃんが疲れからかウトウトし始めた。私は、ベッドの上でコンタクトをはずすとどこかに飛んでいって探してしていた。ぶんちゃんが手持ち無沙汰そうだったので、「先にお風呂どうぞ〜」なんて言ってみたけど、後で後悔した〜。
まあ、はがきを書きながら時間を過ごしたよ。あと一日、明日デリーの観光をしたら夜はもう飛行機の中だ。ちょっと寂しいなぁ。

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