こんにちはサイゴン!  2000年11月8日〜12日
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 戦跡博物館とアオザイ

 

日でサイゴンともお別れ、今日の夜にはとても気にいったマジェスティックホテルをあとにして空港へ向かわなければならない。早いわぁ。

前中は戦跡博物館へ行こうと昨日決めた。旅行に行く前に私はこのベトナム戦跡博物館に行くことを希望したけれども、旅程上難しいかなぁ?とも思っていた。でも、たけちゃんも会社の人に「ベトナム行くなら、戦跡博物館行くよね、もちろん」と言われたらしく、意見が一致したの。

日はゆっくりの起床。8時ごろ起きて9時ごろ出発予定。マジェスティックホテルはちょうどベトナムと日本の文化習慣だったらしく変てこりんな着物を着たホテルの方たちがうろうろしている。朝食バッフェの会場も変な屋台村になっていた。やっぱりここでも日本を勘違いしているような気がする。
朝食のバッフェは申し分ないおいしさ。私の大好きなコーンフレークもあったので◎!フォーもあったけど、見つけたときにはすでにおなかいっぱいになっていたの。
窓の外がサイゴン川でその静けさとすぐ隣の大通りの喧騒がミックスした風景を眺めながら朝食を頂くことができる。

食を済ませて戦跡博物館へ行くべく、ホテルの外に出た。
すぐにタクシーの運転手が「どこ行く?」と聞いてくる。昨日、このマジェスティックの前の赤いタクシーに乗ったら騙されそうになったから猜疑心が先に出る。
でも、そんな私たちの不信な顔はおかまいなしで「どこいく?」と聞いてくる。
私は「騙された」と言う英語の単語が浮かばなくて、ちょっと焦った。どう伝えよう。
私たちがちょっと困惑しているとすぐ人が集まった。シクロのおじさんが来て「どうした?シクロに乗るか?」と言う。
「シクロには乗らない」と言うと、タクシーの運転手が「じゃあタクシーに乗ろう」と言う。「タクシーは昨日騙されたからやだ」と言うと、シクロのおじさんがベトナム語で「この子達は昨日この色のタクシーに騙されたんだって」と状況を話してくれた。
そうしたらホテルのベルボーイも混じってあーだのこうだの言う。
タクシーの運転手も3人くらい集まっている。
サイゴン川クルーズのおじさんも集まってくる。(どさくさにまぎれて「じゃあクルーズにしよう」とか言っている)
「信用できない」って言うと、「大丈夫、メーターで行くから」と言う。
一番手前にいたお兄さんが一番信用できない顔だったので(ごめん、顔で判断した)、「他の運転手がいい」というともう1人のお兄さんが「この人なら安心だよ」とまたもう1人の運転手を指差した。確かにその人が一番、あどけない笑顔で少年のまなざしを持っていたので信用できそうだった。私の心を知ってか知らずか指名してくれた。
でも私は心の中で(おいおい、指名している君は自分に自信がないのかい?)とも言いたかったが、まあ話がごちゃごちゃになるので言われたとおりその少年のような運転手に決めた。
何でたったこれだけのことで人が5、6人すぐに集まってしまうのだ?そこが楽しい。
昨日もシクロの人に話し掛けられたけれど、シクロの人はけっこう頭が良い。日本語を勉強しているのかどうかは知らないけれども、一生懸命話してくれる。
シクロの評判が悪くなければ一度は乗ってみたいと思う。

の若き青年のタクシーに乗ってきちんとメーターが働いているかどうかチェックして、やっとで落ち着いて町を眺めていると・・・
運転手の兄さんがいきなり降りてしまった。
なんだなんだ?
と思っていると、道を聞いている。道をおぼろげにしか知らなかったのだ。
ベトナムのガイドブックにも書いてあった。あまり地図を知らない人たちなので検討でそこに行くと・・・ちょっと笑える。

跡博物館に着いた。今まで小さなおつりがでるとたいていは返してくれなかったけれど、そのお兄さんは返してくれた。もう、いいやつぢぁないか。
度乗るときあったらまたお兄さんを指名するよ。
んぜんベトナム戦争の背景とか勉強していかなかった。戦争映画はあまり好きではないので好んで見たこともなかったの。もっと勉強しておけばよかった。(映画はある人物を脚色化して「ヒーロー」にしたりするから偏った見方になるかな?とも思っていたの)たけちゃんがしっかりベトナム戦争の本を読んできていて、ちょっと話を聞いて博物館を歩いた。涙はもちろんだけれども、吐き気がした。悪いとは思ったけれど、これが事実だからそう書いておく。なんて言っていいかはわからない。
ただ、そこは何も隠されていない。
日本人ジャーナリストの沢田教一さんの(確かそんな名前)撮った写真もあった。ちょっと前に大沢たかおがそのノンフィクションのドラマをやっていたから、写真も記憶に新しかった。一生懸命生きようとしている姿がそこにあった。
戦争はやっぱりいけないことだ。

いぶ気持ちが落ち込んだ。

跡博物館でまたタクシーを拾い、ぶんちゃんの具合が悪いので、一度ホテルに戻った。私たち3人はぴんぴんしているので、またドンコイ通りを歩くことに。パリっぽいカフェに入ってコーヒーを飲んだの。パリっぽいところでベトナムコーヒーを。そしてそぞろ歩きながら国営デパートへ行ったり(私はそこでお土産を買ったりしたのだ)、またまたZAKKAへと足を運んだりした。途中にあるREXという国営ホテルの食器が安くてとてもかわいくて、絶対時間があったら3人とも買っていたと思う。

テルに戻ってぶんちゃんを拾ってタクシーで昼食へと出かけた。私が一番楽しみにしていた「マンダリン」というレストラン。どのガイドブックも絶賛している。多分夜のほうが雰囲気もいいのだけれど私たちには今日の昼までしか遠出はできないし。
ここはおばけがでるんだって。波長があうとつれて帰ることもあるらしいぞ。でもそんな話とはうらはらにとてもゴージャスで良い雰囲気のところなの。
ぶんちゃんが気持ち悪くなってホテルで休んでいたのにマンダリンの料理を食べたら、「本当に来てよかったぁ」と言っていたくらいだもの。本物だよ。
給仕のお兄さんもカモシカのような感じの人で(どんな感じだそりゃ)・・・いや、カンガルーに似ている人でとても親切なの。お勧めも教えてもらったし。

から次へと運ばれてくる料理はどれも芸術品。ため息が出ちゃうわ。最後に、デザートを頼んだんだけれども給仕のお兄さんがどうしても「食べてくれ」というデザートは焼きバナナだったの。しかもそのお兄さんが目の前でアルコールを飛ばしながら炎をあげて料理してくれる。多分これがやりたかったのだと思う・・・。(おちゃめなお兄さんだわ)
ちゃんと4人前に分けてくれて親切だわぁ。

に座っていたアメリカ人夫婦は日本が大好き!と言っていました。奥さんのほうは昔、船橋に住んでいたとか!私の働いているところじゃないか。偶然だわねぇ。写真を撮ろうとしていたら撮ってくれて、お礼に2人の写真も撮りますと言うと「私たちはいいの。あなたたちの写真を取らせてね」なんて言うの。そんな写真どうするんだろう?

ンダリンは住宅街の静かなところなのに、やっぱりおいしいから知られているんだろうなぁ。マンダリンでタクシーを呼んでもらってセラドングリーン(グリーンの陶器を扱った雑貨屋さん)へ直行したの。そこはすごく高級そうな佇まいのショップで、空気が違うの。となりはインドネシアと言う名前のお店でアジアのアンティーク家具も取り扱っていた。いつかお家を建てたらこんな風な家具でそろえたいなぁ。(でも、ベトナムはアンティーク持ち出し禁止なのよね)

こからホテルまでは歩いていける距離なのでまた色々な雑貨屋さんを見ながら歩いた。途中KITO(陶器から小物まで扱っている雑貨屋さん)というお店でぶんちゃんの体調が最悪に。わたしはその辺をプラプラしながらビデオを撮ったりして遊んでいたので気づかなかったの。
ぶんちゃん、お店を出る頃には脂汗をかいていた。
「もう、そんなふうになるまで買い物しちゃだめじゃないか」とかいいながら、涼しい風に当たった。ぶんちゃんはホテルに帰っていると言ったの。

私たちは何を考えるでもなく、またドンコイ通りを探検した。最初に見つけられなかったお店を見たりして。ホテルの目の前にあるオーセンティック(バッチャン焼というベトナム北部の焼物を主に扱った雑貨屋さん)というお店で今回泣く泣く、来られなかった美紀ちゃんのお土産を買った。KITOといいオーセンティックといい、買い物をするとかわいい藁で編んだような籠に入れてくれる。これもまた風情ある。


テルのすぐ近くなので、荷物を置きに行くのとぶんちゃんの様子を見にホテルに戻った。ぶんちゃんは足が痛い上におなかの調子も悪くて踏んだりけったりなのだ。この旅行。でも、つらい顔しながらも「ベトナムは楽しいからいつかリベンジするぞ」と言っていた。なんやかんや言って、ミトー・メコン川クルーズの時が一番体調がよかった気がする。
私が注文したサマードレスとロングスカートが出来上がるのが17時だったので、そろそろ・・・と思って出かけた。ぶんちゃんとはアオザイを作ったお店Creationで待ち合わせをして。
サマードレスは私は見た目に大丈夫!と思ったけれども、お店の人が出来上がりに満足しなかったらしく、直して8時にホテルに届けると言った。信じよう。
ロングスカートはちゃんと注文したとおりマーメードラインになっていてかなり満足。でもスリットがないからちまちまとしか歩けない。普段洋服のデザインなんてしないからこういうところで実用性のなさがでた。でも、ま、かわいいからいいや。

ンルンになりながら、Creationに行ってぶんちゃんと合流。アオザイはきちんと出来上がっていた。肌触りもさすがにシルク。とてもすべすべなの。でもね、私のアオザイはすごく首が苦しかったの。私が「首が苦しくてホックが止まらないよ」って言うと「仕立て直す」と言っていた。でも、今日の夜9時にホテルを出るって言ったとたん「最初のアオザイはみんなこうなの。洗うとだんだんゆるくなってくるんだよ」と言ってなだめすかされた。わたしだって、こんなに精巧に出来ているアオザイが2時間やそこらで直るとは思っていないけれども、なんだかなだめすかされたことにちょっと腹が立った。ずっとずっと同じことを繰り返して言うのでせっかく作ったのにしっかりめげてしまった。仕舞いには「もっと胸がぺちゃんこになる下着を着ければいいのよ〜」なんて言っていた気もする。そこにいたお姉さんは全然悪くないのも知っているけど、子供みたいにあやすのはとてもいやだった。確かに子供じみていたけど。
でもぶんちゃんのはゆったり作られていたから、皆が皆、首が苦しいアオザイではないのさ。
日本に帰ってきて、アオザイを広げてもう一度着てみて・・・お姉さんたちに悪いことしたなぁとほんと反省したよ。(たぶん首周りを測り忘れて、焦って測って間違えたのかなぁ?と想定するの)ラインとか素材とかお値段は自信を持ってお勧めします。でももっと時間があるのなら仮縫いして、気に入らないところは直せるくらいのほうがいいね。

オザイを受け取って、ホテルの近くのたけちゃんがインターネットで見た「13」と「19」というお店に行ったの。ここは味も値段もほぼ同じなのに「13」のほうが広くて開放的だから人気があるとのこと。たけちゃんはかわいそうだから「19」に入ってあげたいと思っていたんだって。
確かに日本人が見たら「13」のほうが見た目よさそうな雰囲気だよ。その上、味も値段も変わらなかったらやっぱり「13」にはいるでしょう。
その2店の前に行ったら噂どおりすごい呼び込み。どちらかに入るまでは返さない状況。でも「13」のほうがやっぱりすこしたかをくくっている。どうせうちに入るだろうと。散々悩んでやっぱり「19」にした。
入って、そうだ、このたびで鍋を食べていないから食べたい!と言うとお店の人がすかさず「鍋はお勧めしない」とか言う。わかりやすくていい。(だまされるよりも)
結局、ビールと春巻とバインセオと・・・いつもと同じようなものを食べていた気がする。でもさ、全然値段が違うの。安い。4人で食べててるのに日本での1人分の夕食代くらい。ロマンチックな夕食じゃなかったけれどすごくよかったよ。

て、最後にオーセンティックをもう一度チェックして、残ったベトナムドンを使った。丸いお皿と市場で買ったバッチャン焼きの醤油差とおなじものの藍色を。ちょっとお金が足りなくてまけてもらっちゃった。(普段はfix price(定価)でまけてくれないショップなの)。私も足りると思ってお会計をしていたので、お店の人がかわいそうに思ったのかも。あ、ありがとう。
ホテルに帰る途中、外にテレビを出して男の人が10人くらいでサッカーの試合を見ている。昔、日本にもそういう光景があったと聞いたことがる。確か「力道山」とかそんな時代。

時にサマードレスを作ったお店の人がホテルまで来ると言うので、それまでお風呂に入ろうと部屋に戻った。ぶんちゃんは最後の夜だったからか力を振り絞って色々雑貨屋さんを回ってくると言っていた。
お風呂に入っていたら、電話が鳴って「サマードレスを持っていく」と言われた。ええー。5分待ってー。
そう言ったのに伝わっていないらしくてすぐにドアのベルが鳴った。
ちょっと待ってー。(部屋にまで来たのかしら?少々不安になった。だって、ぶんちゃんがいないから)
ドアを開けるとマジェスティックホテルのドアマンだった。なぁんだ。サマードレスを持ってきてくれたのだ。そして、「着てみて」と言う。
急いで試着して、直したところをチェックした。胸周りもだぼついていない私サイズになっていた。また急いで着替えて「Ok!大丈夫」と言うと、安心して降りていった。

から何まで親切な人だ。
パッキングをしていると、ぶんちゃんが戻ってきた。
「akicocoが言っていたSAPA(シンカフェの前にもあったぶんちゃん御用達の店、ドンコイ通りにもあるのだ)どこにあるの?」
「マジェスティックのすぐ裏だよ」
「行ってくる!」
「待って、もうすぐホテルを出るんだよ。時間までに用意できなかったら置いてくよ」と言うと「わかった!」と言って部屋を出て行ってしまった。
普段ならいいけれど、行動時間の決まっている旅行ではかなり困る。ぶんちゃんはのんびりやさんだからいつも遅刻する。時間を決めたらやっぱり守ってもらわないと困るよ。旅行中は体調が悪くてあまり思うように行動できなかったかもしれないけれど・・・。
私はちょっと苛々していた。

のパッキングが終わる頃ぶんちゃんが戻ってきた。わたしは、ぶんちゃんにちゃんと時間は守るように・・・と言ってたけちゃんとさっちゃんの部屋に荷物を持って行った。(このぐらいしないと本気だと思ってくれないと思ったから)
そのあとぶんちゃんが部屋でどれだけすさまじい時間を過ごしたかはわからないけれども、時間ちょうどにたけちゃんとさっちゃんの部屋に来て「akicoco、忘れ物がないかどうかだけチェックして。私だけじゃ不安だから」と言った。
「おおう、よく間に合ったじゃないか。偉いぞ」私は部屋にチェックしに行くと、ぶんちゃんの荷物は全部で4つに増えていた。(人間の荷物の守備範囲は2つまでだぞ)
絶対どれかひとつは忘れそうだと思って私がパッキングするときに捨てたデューティーフィリーのバッグを拾ってそれにつめてもらって何とか3つまでに抑えた。ああ、ちょっと心配。でもなんとかパッキングは終わったのだ。(実際、途中の電車でひとつ忘れそうになった)

テルをチェックアウトするとぶんちゃんとさっちゃんが「外すごいよー。暴走族だよー」と言っていた。確かに普段よりもうるさいなぁと思っていた。
でもでも、外に出ると本当にすごい。道が全てホンダのバイクで埋まっている。2人乗りは当たり前。子供3人と奥さんを抱えて1台のバイクで繰り出しているお父さんもいる。日本のバイクってすごい。って、そういうことじゃなくて。
空港までタクシーを頼もうとしたら1台目は乗車拒否された。こんな、バイクの並みの中にタクシーで行けるかって具合に。そうだよね。
私たちは自分たちが空港に迎えないという最悪の状況も忘れるくらい興奮していた。ベトナムの旗を翻したバイクもある。なんの騒ぎだ・・・
先ほどテレビ中継していたサッカーの試合でどうやらベトナムが勝ったようなのだ。確かタイガーカップと言っていたな。愛国心が強いなぁ。
なんとかチャレンジャーのタクシーの運ちゃんが私たちを空港まで送ってくれると言った。よかったぁ。
なんとか空港までたどり着いたし。

回の旅は波乱万丈だったなぁと、いつもに増してそう思った。
でもわたしはまたこの地に来たいと思ったの。見ない間にどんどん変化してゆくだろうベトナム。でもこれ以上、変わって欲しくない気持ちもある。勝手だなぁ。

のあと私たちは関空経由で羽田に帰りました。午前中にはおうちにたどり着いて、旅のあれこれを話していたの。ここまで長いのに読んでくれてありがとう。本当に感謝しています。また次の旅に出たくなったakicocoです。

<豆知識>
タイガーカップとは?
東南アジアのサッカーチャンピオンを決める大会で、2年に1度開催。旧称はASEANカップといい、シンガポールのタイガービール社がスポンサーになった96年大会より、タイガーカップとなりました。
ホアンさんから情報いただきました(^‐^)/ありがとうございます♪(2003・5・18)

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